すーさんのこれまでの経験とサロンを通して届けたい想い 前編
数ある中から当サロンのホームページをご覧になっていただき
ありがとうございます!
整体サロン ウッドベル 代表 鈴木 颯人(すずき はやと)と申します。
愛称は“すーさん”です!
1993年(平成5年)6月6日生まれの31歳です。
茨城生まれ、茨城育ちで、石岡市(旧八郷町)で自然に囲まれながら育ちました。
理学療法士という国家資格を取得し、総合病院で勤務した後、
とあるご縁がきっかけで、つくば市で整体サロン ウッドベルというお店をオープンし、
現在は土浦市に移転リニューアルオープンをしました!
趣味は、カフェ巡り・旅行・サッカー観戦・御朱印巡りなどです。
お客様から
『どこの整体を選べばいいのか分からない』
『更年期って整体で良くなるの?』
『自分の身体を任せるセラピストがどんな人かを知りたい』
という声をいただくことが多いので、
整体選びで迷っている方の参考になればと思い、
サロンの代表であるすーさんのことや
「サロンに対する想い」を経験してきたエピソードを踏まえて
ご紹介しようと思います!
興味があれば、ぜひ読んでいただけると嬉しいです!
目次
幼少期
すーさんは3人兄妹の長男として生まれました。
2歳年下と4歳年下の妹が2人います。
小さい頃は身体が弱く、すぐに熱を出す子供でした。
特に自分の誕生日や旅行・お出かけなどイベントのときには
必ずと言っていいほど体調を崩していました。
両親や祖父母には、かなり手を焼かせたと思います。
小さい頃から運動が好きで、幼稚園の頃からサッカーを始めました。
サッカーは自分が『やりたい』と言って始めたそうで、
物心がついた時にはいつの間にかボールを蹴っていました。
小学校はクラスメイトが30人弱で、一学年一クラスしかない規模が小さな学校に通っていました。
小学生の頃は、サッカーに加え、空手、水泳、書道を習っていて、
ほぼ毎日、習い事に通っていた記憶があります。笑
習い事は嫌なこともありましたが、親の言うことを聞き、続けていました。
長男ということもあり、親の期待に答えようと日々頑張っていました。
小学校3〜4年生ごろ、サッカーの厳しい練習が嫌になり、
練習に行かなくなった時期が2年ほどありました。
その後、サッカーには復帰して
6年生の頃には大会で優秀選手賞をいただくこともありました。
今思うと、さまざまな経験をさせてくれた両親、祖父母に感謝です。
中学時代
小学校を卒業し地元の中学校に進学すると、一学年の人数が80人弱になり2クラスになりました。
全校生徒200人くらいの小さな学校で、
現在、すーさんの母校はいくつかの中学校と統廃合され、母校は廃校になっています。
中学でもサッカーを続けるつもりでしたが、
進学した中学にサッカー部がなく、迷った結果、卓球部に入部しました。
部活見学に行ったときは、先輩方のとても楽しそうな雰囲気が印象的でしたが、
途中で顧問の先生が変わり、練習が厳しくなりました。
先生に厳しく指導されながらも、なんとか食らいついていき日々成長していきました。
その結果、3年生の最後の大会では、卓球の団体戦で茨城県南大会で4位入賞し、
県大会に出場することができました。
人のために動くことが好きで部活動を続けながら、
3年生の時は生徒会長としても活動していました。
先生方からの信頼も厚く、学校をより良くするために新たな試みを始めることもありました。
当時からすでに他人と足並みを揃えることがあまり好きではなく、
クラスメイトそれぞれの個性があっていいと思っていました。
この頃から『将来について』や 『自分が将来なすべきこと』について考え始めました。
高校時代
中学を卒業し、
高校は県立の進学校に推薦入試で進学しました。
中学校でのブランクがありましたが
思い切ってサッカー部に入部し、
やりたかったサッカーを思いっきりできるようになりました。
仲間たちにも恵まれ、部活に打ち込みながら高校生活を楽しんでいました。
しかし、この高校生時代にすーさんの将来の道を決めることになる大きな出来事が起こります。
入部したサッカー部では、中学3年間のブランクを埋めようと日々努力していました。
顧問の先生にも目をかけていただいていましたが、
中学の頃のブランクが影響したのか
高校1年生の冬にフィジカルトレーニングが増えた影響で腰を怪我してしまいました。
病院で診断を受けると、「腰椎椎間板ヘルニア」と「腰椎分離症」という怪我を併発しており、
復帰にはかなり時間がかかることが分かりました。
大好きなサッカーを続けたかったので6ヶ月ほどのリハビリを行い
頑張って復帰を目指すことにしました。
そのリハビリ期間は身体作りのトレーニングが中心でつらいこともたくさんありました。
しかし、チームに帯同してくれていたスポーツトレーナーさんや
リハビリに通っていた病院に勤務していた理学療法士さんに
身体面だけでなくメンタル面でもとてもお世話になりました。
身体だけでなく、心の支えでもあったトレーナーさんに憧れを抱き、
元々、人のために動くことが好きだったため、
将来はスポーツトレーナーになりたいと考え始めていました。
将来の進路を考えているとき先生に相談すると、
スポーツトレーナーではなく、
国家資格である理学療法士の資格取得を勧められました。
スポーツチームに帯同し活躍している理学療法士の方もいらっしゃったので
理学療法士の国家資格受験資格が得られる医療系の大学進学を目指すことにしました。
サッカー部は冬の全国高校サッカー選手権の全国大会出場を目指し、
私自身も3年生の秋まで部活にのめり込んでいました。
残念ながら、レギュラーを獲得することはできなかったため、
自身が怪我をして身体のメンテナンスに取り組んできた経験を活かし、
チームをサポートする側に回りました。
リハビリしていた時期の知識や経験を活かして、
トレーナーさんのサポートをする役割を与えてもらいました。
チームメイトからの信頼もあり、
試合には出場できないながらもチームに貢献できているという達成感もありました。
3年生時の夏のインターハイでは、県大会ベスト4まで進出したチームでしたが、
高校サッカー選手権の茨城県予選大会では、
本来の実力を発揮できずに、2回戦で敗退することになってしまいました。
目標を達成できなかった悔しさは今もはっきりと覚えていますが、
同時にすごく貴重な経験ができました。
部活動を10月に引退した後は大学受験に気持ちを切り替え、
両親になるべく迷惑をかけないため、
学費が安い県立の医療大学を目指していました。
しかし、大学受験に失敗し結果的に1年間浪人をすることに。
翌年の受験もうまく行かず、県立の医療大学進学を諦め
一年の遅れを取り戻して、早く現場で経験を積むために
一般的には4年制の学校に進学するところ、3年制の専門学校に進学することになりました。
専門学校〜総合病院
医療系の専門学校は学費が高額なため、結局、親に負担をかけてしまうことになり、
責任や負い目を感じていました。
「大学に入れなかった」という悔しさが強く、入学当初には専門学校を主席で卒業すると決意し、
日々の勉強をめちゃくちゃ頑張っていました。
学校での勉強は順調でしたが、医療の現場で活躍するためには知識だけ身につけていてもダメだと気づき、志が高い友人たちと共に、学生の頃からセミナーや勉強会に行き始めて、自己研鑽を積んでいました。
専門学校は無事主席で卒業し、入学当初の目標を達成できました。
成績優秀者は、学費の一部免除制度があったので、多少は親に恩返しができました。
卒業を控えた就職活動では、臨床実習先としてお世話になった急性期病院の面接を受けるも、
実習に来ていなかった大学卒の人が採用され、自分は不採用となりました。
結果的に、学歴で判断される部分があることに悔しさと疑問を持ち始めていました。
その後、別の急性期病院に無事内定をいただき、理学療法士の国家試験に合格して卒業できたため、
新社会人として働き始めました。
総合病院で働き始めた後は、いち早く一人前のセラピストになるために、
休日を返上して都内や全国各地のセミナーに毎週末のように参加していましたが、
なかなか自分が思い描くように知識・技術が身につかず、焦る気持ちもありました。
セミナーに行ったことで、どこかで満足している自分がいることにも気づいていました。
その中でも、職場の同期よりも知識・技術を高めている自負はあり、
先輩からも「同期の中では頭ひとつ抜けている」と評価していただいていました。
しかし、大学卒の同期と専門卒の自分の給料には、
月10,000円程度の差があり、
学歴で給料が決まることに納得が行かない自分がいました。
自分のことを誰かに認めてほしい気持ちがありました。
また、セミナーで学んだことを病院の現場で実践すると、
先輩方から「その考え方、やり方は間違っている」
と指摘されることが多くありました。
徐々に自分のやりたいリハビリができなくなっていき、
ただ先輩の言うことに従い、仕事をこなすことしかできない自分に嫌気が差していました。
自分の中の理学療法士としてのアイデンティティが薄れてきていました。
さらに、救急車やドクターヘリが来る総合病院では、何度も入退院を繰り返す方が当たり前でした。
その方たちに満足なサービスを提供できてない自分がいて、
そして、職場の雰囲気は、入退院を繰り返す人たちを問題視していないところに違和感を感じていました。
その頃の経験から
『そもそも病気になる人が少なくなれば
本人も家族も困らないし、悲しまないのではないか』
と感じ始めていました。
自分の人生を振り返ると、
周りに認めてもらうために
周囲の期待に答えるために
どこか当たり障りのない行動をしていた自分がいました。
ただ、本気で自分が間違っていないと思っていたときは、
先輩や先生、上司にも関係なく、意見を言って自分の筋を通すことも多々ありました。
組織のしがらみによって、本当にやりたいことができない自分に嫌気が差していました。
そして、心のバランスを崩したことで身体の方も悪くなってしまい、腰痛や疲労が溜まり、
健康を害する経験もしました。
健康診断で行う血液検査でもコレステロール値が高く、
血糖値も基準値をオーバーしており、60kgだった体重は、70kgまで増加していました。
仕事終わりにプールに行ったり、筋トレをしたりして運動などを取り入れましたが、
なかなか改善できない自分がいました。
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開業へのエピソードやサロンを開業した熱い想いは後編に続きます。